『蟲師』が終わった


連日寒い日が続く中、毎日凍えながらバイクでバイトに行き、
「このままだと冬を越す前に凍え死ぬ」
と防寒対策が喫緊の課題となってきたのでイオンのユニクロへ。
広告に乗ってたダウンのロングコートと防寒パンツを買うことにする。
あ、そういえば先週もイオンに用事で来たけど、
その時にユニクロのレジに行列が出来てたなぁ、
ということを覚えてたので開店後20分くらいに行ったんですが、
既に待つのが嫌になりそうなほどの行列が。
ま、まだ開店して30分も経ってないよ…?
連休中日とはいえ、今まで休みの日にこんな行列できてたかなぁ…
景気が悪くなってる兆しなんだろうか。
諦めてタワレコ


STRENGTH IN NUMBERS

STRENGTH IN NUMBERS


ザ・ミュージック

ザ・ミュージック


が安く売ってたので購入。
相変わらずの体が動き出すようなリズムとメロディ、
ロバート・ハーヴェイのハイトーン・ボイスがタマラン。
しばらくヘビロテ。


んでもって本屋さんで


蟲師(10) (アフタヌーンKC)

蟲師(10) (アフタヌーンKC)


が出てたので買った。が、読んでびっくりした。
なんと、この10巻が最終巻…
まだいっぱい謎が残ってるんですが…
いくらオムニバス形式が主体とはいえ、
このまま終わられると後味が悪すぎる。


蟲師』という作品は「人」と「蟲」で構成される世界の「均衡」を
ストーリーの一本の柱としながら、その「均衡」が崩れる
(あるいは保たれる)さまを人間の内面から、
または人間の力を遥かに越える視座から
描かれているところが最も面白い。
例えば「やまねむる」という話。(※以下ネタバレ注意!)


山の均衡を保つ「ヌシ」は本来ならば獣がその役目を果たしているが、
この話に出てくる山では蟲師の老人がその役目を負っていた。
その老人が怪我を負ったため山の均衡が崩れつつあるのを、
通りがかったギンコ(主人公)が助けた。
ギンコは村の者に感謝され村で一晩泊まっていくが、
夜半奇妙な鐘の音で目が覚める。
鐘の音と思われたのは実は老人が呼んだ
「ヌシを喰ってその山の新たなヌシとなる蟲」の鳴き声で、
老人は死んでヌシの座を降りようとしていた。
ギンコは何とか老人を救おうとするが、
蟲は老人を食い、ギンコは気を失う。
気を失っている間、ギンコは奇妙な夢を見る。
それは老人が若い頃この村にいた時の記憶で、
この老人に想いを抱いていた村の娘が
老人を村に留まらせるために「ヌシ」を殺してしまったという記憶だった。
老人はかつての罪滅ぼしのためにヌシを喰う虫を呼んだのだった。
村を出たギンコが山を振り返ると、
新たなヌシとなった蟲の姿が見えた。
その蟲は、山の頂を覆わんばかりの巨大な大蛇だった…


山の均衡を表す「ヌシ」をめぐって
人間の儚い欲望が均衡である「ヌシ」を殺し、
そしてまた人間の力をはるかに越えたものによって
再び「ヌシ」が現れ均衡がもたらされる、
という風に時に「均衡」をも崩してしまう人間の内面のもろさと、
「均衡」を保つ人間より遥かに巨大な存在の壮大さが
見事に両立して描かれていて、『蟲師』の中では非常に面白い話。
蟲師』という作品のほとんどはこんな風に描かれている。


が、唯一この流れが崩れる話として、「禁種の蟲」に関わる話がある。
世界のバランスである「均衡」そのものを崩し、
人も蟲も滅ぼすという「禁種の蟲」がかつて存在した。
その「禁種の蟲」という存在はいまだに謎の存在であり、
「禁種の蟲」を体に封じている者や
調査をしている蟲師などが出てくるくらい。
この「禁種の蟲」に関わる話はたった3話しかないんですが、
オムニバス形式である『蟲師』のなかでこの「禁種の蟲」が
いわば隠れたストーリー的な存在になっており、
たぶん『蟲師』読者の多くはこの「禁種の蟲」の謎が解かれるのを
楽しみにしていた、と思う。
「禁種の蟲」という謎を作者が作ったからには、
その「謎」が徐々にとかれていくだろう、と。


しかしそんな「禁種の蟲」ストーリーを待ち望む読者を残して、
蟲師』は終わってしまった。この謎どうしてくれるんだ!
というかこの謎を一向に解こうとしなかったのが
「10巻で終了」という結果を生んでしまった気がするなぁ…
ここ何巻かは面白いけどどこか物足りない、という感覚があった。
けど一方で、「禁種の蟲」が謎として残るのもまた、
人知など遠く及ばないものが存在するという
蟲師』の持つテーマを描いている面もあり、複雑な気分ですなぁ。


ま、漆原さんの次回作に期待します。次はストーリー漫画かな?
あと、結局防寒着は夜にもう一回行って買いました。
けど夜もまだ少し並んでましたよ。ユニクロ大繁盛。